パリのアトリエで
赤と緑のコントラスト、
全体を引き締める黒と青、
さまざまなモチーフに姿を借りてぽつぽつとちりばめられている黄色。
画家はアンリ・マティス(Henri Matisse, 1869 – 1954)、ざっと見ても画面の3/4が鮮やかな赤なのにもかかわらず、むしろやわらかく、穏やかな気分にさせるのが不思議なところです。
フルーツがたっぷり盛られ、さらにテーブルにころころと散らばって、非常に豊かな画面。
テーブルの赤と白のワインはデキャンタにたっぷりと入っていて、日常的に飲まれているものと思われます。
前回 Frankさんが選んでくれた、とことんシックなクールベ作品から約60年後。
その間に、印象派が生まれて大批判から人気を博すまでの歴史が挟まります。
続いてマティスらの「野獣派」が批判を浴び、その活動が終わる頃に描かれました。
日本語では「赤のハーモニー」/「赤い部屋」。
画家は陽射しをたっぷり受けた南仏コリウールの滞在からパリへ戻り、1907年12月、モンパルナスにある元サクレ・クール修道院の建物に移り住みました。この作品は、実際に広い食堂だったアトリエで、その翌年の夏いっぱいかけて制作されたもの。窓からの景色も、アトリエから見えたままです。
2つの食卓
じつはこの図案は当時の約10年前に描かれた、「食卓」という作品が元になっています。
色彩豊かな(というか色彩そのものの)「野獣派」の先駆者であるマティスですが、フランドルの静物画を模写したりしながら、比較的写実的な作品を描いていた頃の作品です。

フルーツ、ワイン、メイド、窓、テーブル、椅子。
2つの絵に関連性があるという情報のもと見比べると、モチーフひとつひとつがトランスフォームされ、再配置されているのが発見できて興味深いです。
そして視覚的なこと以外にも、2つの絵には正反対の点が。
「赤いハーモニー」の方は夏いっぱいかけて制作されたと書きました。まるまると鮮やかな果物も納得できます。
一方、もとになった「食卓」のほうは、すっかり寒い時期に暖房も入れずに描かれたそうです。冬で、果物もそんなにふんだんにはなかったことでしょう。
暖房を入れなかった理由は、高価だったそれらを少しでも長く持たせるため。
コートを着込んで描いたマティスも大変ですが、当然ながらモデルも相当辛かったらしいです。
苦労して仕上げたものの、当時の師匠だったギュスターヴ・モローには大絶賛されますが世間的には批判が強く、ワインの底にカビが見えるとまで言われたそうです。

110年前の赤
有名なエピソードをもうひとつ。
この真っ赤な絵はもともと、「青いハーモニー」でした。
ロシア人コレクター・セルゲイ シチューキン(Sergei Ivanovich Shchukin) の依頼ありきで制作されたこの “コミッションワーク” には、そもそも、飾るのに意図されていた場所がありました。
それがシチューキンの居間だったのですが、そこにはすでに、ゴーギャンが。
作品の画面を多く占めていたのが、輝く黄色です。同じ部屋の対面に掛けられる「装飾パネル」は、黄色とうまく合わせられる必要があります。そこで、青い絵が理想的だったのです。

しかし、1908年7月6日に作品が完成し、画廊で撮影もすませたあとになって、マティスは一瞬にして壁とテーブルクロスを赤に塗り替えてしまいました。
7月末の出来事なので、今からぴったり110年前。
理由は、青では十分に「装飾的」でなく、赤の方が色彩を以って作品の完成度が高いと判断してのことでした。
今の解釈からすれば
・壁と景色/ 赤×緑
・窓枠と唐草模様の縁/ オレンジ×青
という2つの反対色が見られ、実際とても美しいですが、最初からこの計算をされて制作されたわけではないことがわかります。
さて、予想していた絵がとつぜん真っ赤になっていたのを見たシチューキンの反応はというと、文句も言わずそのまま受け取ったと言われています。
「装飾パネル」というと、確かにキーオブジェクトは空間全体であり、作品自体ではない。
しかし、画家に傾倒していて、まして買えるだけの作品をコレクションしていたとしたら、(実際彼はそうでした) やはり作品のクオリティがキーとなり、空間は二の次になるでしょう。
俗っぽく例えてしまえばインテリアとアートどちらに軸を置くかという、シンプルな立ち位置の話です。
とはいえ、さぞ驚いたであろう実際の内面はどうだったのか、そしてゴーギャンはどうなったのか、気になるところです。
作品の外側の話はここまでにして、後半はその中身であるデキャンタ入りのワインについて、ゆっくり探求してみたいと思います。
《後編に続く》
Henri Matisse “La Dessert rouge” (1908) ロシア・エルミタージュ美術館蔵
Written by E.T.
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