白銀のプレートの上に盛られた無花果。若い実や芳香漂う熟した実が一緒くたに並べられ、もぎたてのみずみずしさを湛えている。刃のくすんだナイフが、そのみずみずしさをより際立たせている。
少し焦げ目のついた一塊のパンからは、セミハードな触感やイーストの香ばしさを覚える。
後景には小樽、その後ろに何か入った少し大きめの容器。
そして…
コルクが深く刺さった、やや背の低いワインボトル。ボトルの口から腹部まで色が変わらないことから、濃くて暗い青漆は恐らくボトルの色そのものであることが想像でき、中に充たされたワインのタイプまでは窺い知れない。
本作を描いたのはスペイン絵画史上最高の静物画家とも称えられるLuis Egidio Meléndez (1716-1780)(以下、メレンデス)、1770年頃の作品とされる。
スペイン絵画史において18世紀半ば〜後半と言えば、ヴェネツィア派最後の巨匠とされロココ調の優美さを兼ね備えた画風が特徴的なフレスコ画家Giovanni Battista Tiepolo (1696-1770) と新古典主義の先駆者とされるAnton Raphael Mengs (1728-1779) が画壇を賑わしていた時代である。
我々がこれまで取り上げてきた絵画は、写実主義のGustave Courbet (1819-1877)、後期印象主義のToulouse-Lautrec (1864-1901)、フォーヴィスム(野獣派)のHenri Matisse (1869-1954)、エコール・ド・パリの藤田嗣治 (1886-1968)…であるから、1770年頃と言えば遡ること何世代か前の話となり、絵画におけるモティーフにも宗教的・神話的ニュアンスがまだ色濃く残っていた時代である。

ではなぜ、宗教画や神話画が高く評価されていた時流の、18世紀後半の作品を今回テーマに取り上げたのか。それはこの絵が「静物画」、スペイン絵画的に言えば「ボデゴン(厨房画)」であるからに他ならない。
「静物画」とは、基本的には「写実」である。但し、19世紀半ば以前の、つまり写実主義や印象主義より前の時代の「静物画」には「寓意」が込められていることが多い。
例えば、本作にも描かれている「パン」と「ワイン」。イエス・キリストは「最後の晩餐」で「パンは私の身体であり、ワインは私の血である」と述べたとされ、イエス・キリスト自身を表していると考えられる。「無花果」は、世界の終わりの日にイエス・キリストが再び地上に降臨すること、すなわち「再臨」を暗示している。
そのような宗教的意味を多分に含みながらも、一方で写実的要素を併せ持つ18世紀の「静物画」は、絵に写り込んだワインの内容を想像するのに、非常に興味深いテーマと言える。

さて本作であるが、メレンデスが後にスペイン国王カルロス4世(在位:1788-1808)となる皇太子のために描いた数十点の「静物画」のうちの1つとされる。
ではなぜ、「静物画」だったのか。
実は、18世紀後半のブルボン朝スペイン王室では「自然科学」にその興味が向けられていたのである。
例えばマドリードにある国立自然科学博物館 (Museo Nacional de Ciencias Naturales) は、1771年に当時の国王であったカルロス3世(在位:1759-1788)によって創設された「王立自然史研究室」が礎となっており、現在においてもスペインで最も重要な研究機関の1つである。また、プラド美術館のメインの建物であるビリャヌエバ館も、元はと言えばカルロス3世の命で1785年に設計された自然科学博物館の名残である。
フランスの化学者Joseph Proustが、カルロス4世の目前でスペインで初めて気球を飛ばしてみせたのも、ちょうどこの頃である。
王室は「自然科学」を研究し、その功績を後世に記録として残そうとした。
そのような時勢において、メレンデスの質感までをも緻密に表現した「静物画」は、芸術の域を超え、「細密画」や「標本画」といった学術的な使命すら負っていたように感じてならない。

《後編に続く》
Luis Egidio Meléndez “Bodegon con higos y pan” (c. 1770) ナショナル・ギャラリー・オブ・アート所蔵
Written by Fumi “Frank” Kimura
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