Edvard Munch /その翌日 × Spätburgunder(前編)

the day after M

魅力の側面

ともすれば目を背けたくなるほど開放的に熟睡している女性。

長い黒髪、はだけた白いブラウス、明らかに就寝着ではない服を着たまま、よく見るとブーツも履いたまま。

それでもその肌の麗しさや、キリッとした造形の顔が、彼女を魅力的に魅せています。

彼女がただ、ひとり懸命に生きる無垢な存在だという欠片が、投げ出された白い腕から見てとれるような気がします。

しかし、周りの評価はそうはいきません。

大体において、誰が見ても “一目で 可愛く魅力的” という印象の女性が描かれるこの手の作品は、画家の意図がどうであれ、綺麗事ではない解釈をされることがほとんどです。(もっとも有名どころでは、マネのオランピア然り)

例にもれず、この作品も、仕事を終えた娼婦の休息か、そうでなくても賑やかだった夜のその後、という程の解釈をされています。

ですが、同時代に描かれた( 実際、もっと重要視されている)ムンクの他の作品群を見れば見るほど、私はここに、ムンク自身の「休息」があるのではないかと思うのです。

ベルリン時代

この作品が制作されたのは、ムンクが最初にベルリンに滞在していた時期でした。(ちなみに世界的には、この翌年に現代オリンピックの第一回目が開かれるようなタイミングです)

画家として非常に重要なターニングポイントで、この時に作風がガラリと変わります。ムンクにとっては大変に精神不安定な時期でしたが、ベルリン分離派というグループが生まれるきっかけとなった、大批判に晒される個展が開催され、北欧のアーティストたちとも積極的に関わりを持っていました。

彼らとは哲学についても論じ合い、内面を描いていくムンクにとって、ショーペンハウエルニーチェを深く知っていくことには、重要な意味合いがあったでしょう。

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ベルリンでアーティストたちと集っていた「黒仔豚亭」(ムンクがいた頃よりも少し後、1920年代の写真) 並んでいる様々なワインボトルも気になります
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誰もが知る「叫び」が制作されたのもこの時期 (前年の1893年)

ほかにも「マドンナ」「星月夜」「吸血鬼」など、名だたる代表作が同時期に生まれました。

いかにムンクが不安定だったかが、これらの代表作を見れば誰もが納得してしまうでしょう。

ちなみに、「星月夜」といえばゴッホが有名ですが、やはり相当の精神不安定時期だったと言われます。

さて、そんな中、この静かな作品。
女性はぐっすりと眠っています。

たとえ無表情でも、もっといえば顔が見えなくても、人間は起きてさえいれば何かを語っています。
それどころか、死すら、そこに無言のメッセージを発しているでしょう。

しかし眠りとは不思議なもので、そこに意味を見出すことはできません。
死よりも無。そこに「息づき」はありますが、「魂」あるいは「自我」が、抜け落ちているようです。(少なくとも「死」には起きている魂の存在が、どこかにあるような気がします)

不安」「嫉妬」など、人間の内面をそのまま取り出したような、おどろおどろしい名画がたくさん生まれる最中、ただ目の前の情景を捉えたような作品が描かれたのはなぜか。

もしかしたら、ムンクに訪れる垣間平和な精神の一瞬一瞬に、まるで休息を求めるように、少しずつ筆を進めて描かれたものなのではないか、そんな気もします。
さらに、人物を演劇的なポーズで描くことが多いムンクが、ただある姿を捉えたということ自体も、この作品の1つの特徴となっています。

人生の伴侶

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70歳のムンク
画家は1863年、ノルウェイはロイテンに生まれました。(その後まもなくオスロへ引っ越します)
父親は医師でしたが、一家は常に病と同居していたようなもので、ムンク自身も病弱。
大人になってからは精神的な病も含めて、健康とは無縁の生涯でした。
画家自身がはっきりと、病魔は人生の伴侶だと言っているほどです。
しかし一方で彼は、その整った顔立ちで非常にモテました。
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若い頃からエレガント

パリ留学の際には、厳格な父親から離れたこともあってか華々しい女性関係も持ちます。ただ、同時になかなか幸せな恋愛関係が結べなかったことも知られており、自身は生涯独身だったのにも関わらず法に則らない恋ばかりだったり、奔放すぎる相手に嫉妬で苦しんだり、結婚を迫られ銃の暴発事件が起きたり。

なかなか女性に幸せなエピソードがありません。

若くして亡くなった母親、同じく若干15歳で亡くなった姉。

2つの死の出来事が、生きていく上でムンクに根源的影響を与えることは避けられなかったでしょうが、自身の身体的弱さも手伝って、それが女性との穏やかな関係をも難しくしてしまったというのも十分考えられます。


とはいえ、ムンク自身「芸術家は孤独でなければならない」という言葉も残しているので、「幸せな結婚」ということに関しては、ある程度無意識の意志で制御していたのかもしれません。

実際、別の理由ではありますが、弟の結婚にも反対しています。

さて、そんな中、身体になんの意味も湛えず、健康で、気持ちいいくらい深く眠る姿は、彼にとってはむしろ貴重な姿だったのではないでしょうか。

ちなみに、この頃ムンクが関係を持っていた女性ダグニー・ユール(Dagny Juel , 結婚後も自由な男性関係を持つことを明言していた)は強靭な肝臓の持ち主だったようで、数多くの芸術家を破滅的な状況に追い込んだリキュール・アブサンも、浴びるように飲んでいたそうです。

ムンクにとっては、ワインの1、2本なんてまったくかわいいものに見えたでしょう。

Edvard Munch “The Day After”/ 1894-95 オスロ国立美術館
Written by E.T.

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