Johannes Vermeer / 紳士とワインを飲む女 × Margaux (後編)

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ワインの役割

いよいよワインにフォーカスしていきましょう。
その前に見ておきたいのが、本作品とよく比較されるものとして有名な「士官と笑う娘」と「ワイングラスを持つ娘」です。

士官と笑う女
士官と笑う娘 (1658 – 1660)
ワイングラスを持つ娘
ワイングラスを持つ娘 (1659 – 1660)

どちらもワインの役割は同じで、「誘惑」。
ワインは抵抗をなくして女性に近づきやすくする媚薬として描かれます。
特に今回の作品では、椅子の上に置かれたリュートやテーブルの上の楽器から、ワインの前にすでに女性を良い気分にもてなす演奏が行われていたことがわかります。

違和感が残るのには、男性は勧める一方で自分は飲んでいないどころか、グラスすら見当たりません。

これでは会話が難しいような気がしますが、それを描いていないのは より寓意的な作品にして、「誘惑」のメッセージを強く出すためなのでしょうか。

ピッチャーの中身は

寒さの厳しいオランダは今でもビールの国ですが、それはこの時代も同じで庶民は「ビールとパン」が主食です。(ちなみに、水も衛生状態が悪いため飲めません)
ワインを飲むのは生活に余裕がある人々だったようで、つまりワインが輸入品であるということでしょう。ではどこから持ってくるか?

当時オランダは、地中海、バルト海は言うに及ばず、世界に海上帝国をもち中継貿易も栄えていました。

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一方、早くからワインを輸出していた場所のひとつが、ボルドーです。ボルドーには有名な3本の川(ドルドーニュ川、ガロンヌ川、ジロンド川)があり、これが運河となって世界に開かれていたおかげです。一番の得意先はロンドン。1世紀ほど遡ると、かのシェークスピアもパブでボルドーの「クラレット」を大量に飲んでいました。

そして、この大量のワインの流通をどうにか大きなビジネスにしたかったのが、当時のオランダ。当時ワインの流通はブルゴーニュやスペイン・マラガなど世界中にありましたが、ボルドーワインに対するオランダの介入は大きなものでした。

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1663年ごろのワイン商人たち

オランダがワインを扱っていた目的はボルドーで買い付けてイングランドへ卸すこと。ところが、ボルドーのワイン産地はすでに開墾し尽くされ、もう畑にできる場所がない状態です。
どれだけ海を支配しようと、肝心のワインの生産量が変わらなければ意味がありません。

面白いことに、今では ボルドーワイン=メドック地区 と言っても良いほど、最高峰のワインを生み出すボルドー左岸地域 (藤田嗣治の回参照)ですが、16世紀までのボルドーワインといえば、右岸のサンテミリオンが最上級。
その後、ボルドーから北東部に少し離れたベルジュラックやガイヤック(今は南西地方と呼ばれる)のものもボルドーから出荷されていました。

では、メドック地区は何をしていたかというと、まだ何もできない沼地だったのです。

ボルドーの歴史とオランダの功績

 

The Dutch drain the swamps of Bordeaux

The next major event for the Bordeaux wine trade took place when the Dutch needed to build roads to make it easier to transport goods throughout the region. The Dutch, along with the British were major purchasers of Bordeaux wine.

(中略)

The Dutch are also credited with another even more important piece in the evolution of the Bordeaux wine trade. In fact, the next contribution by the Dutch changed the landscape of the Bordeaux wine region forever. By the 1600’s, numerous Bordeaux vineyards were already planted, cultivated and producing wine. However, much of the region still consisted of unusable, swamp land and marshes.

Dutch engineers came up with the idea to drain the marshes and swamps. This allowed for quicker transportation of their Bordeaux wine and all of a sudden, there was a lot more vineyard land that was perfect for growing grapes to make more Bordeaux wine.

(中略)

Many of the original water channels are still in existence all over the Medoc.

(“Complete Bordeaux Wine History and Description of the Wines”より)

オランダは何しろ当時お金持ちなので、この湿地帯を丸ごと埋め立て開墾し、見事に葡萄畑に作り上げました。これによりワインの生産量が上がっただけでなく、流通が容易になったので質の劣化を最低限に、早くイングランドへ運べるようになります。そのワイン産地こそ、マルゴー、サンテステフ、サンジュリアン、ポイヤックだったのです。

オランダがここまで商売気質でなかったら、現代のボルドーのワイン畑の姿はどうだったのかと考えると、驚くべき業績です。

そんな大改革が行われる中、初めてブランディングを確立させたのが Château Margaux, Lafite, Latour (とHaut Brion)だったそうです。

17世紀の輸出ワイン事情

ところでこの時代、まだ瓶詰めされたワインは販売されていませんでした。
ボルドーから樽ごと輸出されるワインは「クラレット」と呼ばれ、ロゼワインと赤ワインの中間くらいの色合い、熟成もほとんどされていないため、輸出された先で熟成したり、他の容器で保存されたりしていました。フェルメールの作品に登場するワインが全てピッチャーに入っているのも、このせいです。

ちなみに樽熟成させるワインに保存料を加えて長距離の移動を可能にしたのも、オランダでした。

上に挙げた名だたるシャトーのワインも、ブランディングができていったとはいえ現在のような味わいを期待できるようになるのには、少なくとも18世紀まで待たなくてはいけません。

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時代は2世紀ほどくだり、 1869のボルドー シャトーたちのイラストレーション

 

さて、では紳士が女性を良い気分にさせるのには何を選ぼうか。

実際ボルドーでの改革が行われる前にも、ドイツやスペインをはじめ世界のワインを自国のためにも輸入していたオランダでしたが、こうして大量のワインを造らせて、たくさんの流通を確保した中ではメドックのワインを自国まで持ち帰っても不思議ではありません。

話題性があって女性に飲ませるのには良い口実だったのではないでしょうか。

その中でもここは、のちにその華やかさとしなやかさで、メドックでもっとも女性的な造りと呼ばれるようになる、マルゴーとしておきましょう。

 

 

Johannes Vermeer “Het glas wijn” (1658-1660) ベルリン絵画館 蔵

Written by E.T.

Johannes Vermeer / 紳士とワインを飲む女 × Margaux (後編)” への2件のフィードバック

追加

    1. コメントありがとうございます^^
      そうなのですね!歴史を知って飲むとまた味わい深いですよね。ボルドーは開かれていた分、知れば知るほどたくさんの関わりがあっておもしろいです。

      いいね: 1人

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