Balthus / おやつの時間 × Seyssel (前編)

Still Life with a Figure 1940 by Balthus (Balthasar Klossowski de Rola) 1908-2001

バルテュスの “危うさ”

この画家の作品が持つある種の危うさには、いくつかのファクターがありますが、タイトルもそのひとつかもしれません。

今回取り上げたこちらの作品、所蔵先はロンドンのテート美術館で、英名こそStill Life with a Figureとなっていますが、原題は “Le Goûter”、日本語では「おやつの時間」となっています。この可愛らしい言葉が、不穏さを増長させる気がするのは私だけでしょうか。

バルテュス(Balthus 1908 – 2001/本名Balthasar Michel Klossowski de Rola)は、フランス生まれ。(父親はポーランド人、母親はロシア・ユダヤ人)ちなみに誕生日は2月29日で、かの詩人リルケとかなり深い親交があったのですが、リルケをして「このつつましい誕生日は、未知のものの多くをあなたに委ねるでしょう」と言われています。自身はのちに日本人女性と歳の差ありながらも結婚し、その節子夫人は現在随筆家としても活躍され、バルテュス関連のメディアには気前よく出演されていらっしゃいます。

節子さんはバルテュスの描くのをサポート。色の調合まで手伝っていたそう

バルテュスといえば、いまだに物議を醸す作家でもあります。(参考:一年前にあったN.Y.での署名活動の記事 )

彼の作品には危うげな雰囲気の女の子が頻繁に登場し、それが性的なイメージを想起させるといわれているからです。画家がそれを否定しているとはいえ、また彼の絵に対する非常に真摯で敬虔な姿勢を加味しても、実際にはそう見えてしまう作品が多いことは否定できませんが、そもそも現代においていまだ表現の主題について批判が出るということ自体には正直違和感を禁じえないところです。

バルテュスのスタイルと「美」

彼の言うところでは「少女」というのは変化の最中にいるもっとも象徴的な存在で、バルテュスにとっての「美」をまさに体現しているもの。その「美」とは、「出来上がった状態」ではなく「移行している状態」なのだそうです。
「心奪われているのは、天使から少女へのゆっくりとした変化、その瞬間を捉えること… 」とコメントしています。*

蛇足ながら自身の考えをちょっと挟ませていただくと、「美」は有限なもの、次の瞬間なくなってしまうかもしれないというある種の切なさを含むゆえに在り得るものだと思っています。
バルテュスの「状態」という表現は特徴的ですよね。

さて、そんなセンセーショナルに見える画面も多く描いた彼ではありますが、反対にそのスタイルは非常にクラシック。
両親の美術への深い造詣にも関わらずバルテュスは独学で絵を学んでいくのですが、その方法というのがまた非常に “古典的” 、即ち「模写」でした。

中でも繰り返し学んだのがピエロ・デラ・フランチェスカニコラ・プッサン
それぞれイタリア初期ルネサンスの画家と、17世紀フランス古典主義の大巨匠という、古典王道ど真ん中という風情です。
ちなみに画家だけでなく、作家のエミリー・ブロンテやルイス・キャロルからも大きく影響を受けていて、ブロンテの名著「嵐が丘」の挿絵を描いたり、「鏡の国のアリス」と同題の作品を制作しています。

フランチェスカのもっとも有名な作品のひとつ、「キリストの洗礼 」/1450頃
プッサンの「アルカディアの牧人たち」/1638-1640頃

頑固とも思えるほど精巧で忠実で隙なく創り上げられたバルテュスの絵のスタイルは、「新古典主義」と言われます。
揺るぎないがっしりした土台の上にだからこそ、この危うげな主題での画面が堅牢に支えられているのではないでしょうか。
そして彼の言葉を読むと、多くの画家と同じように、絵を描くことを喜びよりもむしろ苦しみとして現しているのが印象的です。

作品

さて作品を見てみましょう。

まず、パンにざっくりと突き刺さったナイフが目を引きます。

バルテュスの作品にしばしば見られるこのような静かな残虐さは、幼い頃お兄さんとよく見ていた
「マックスとモーリッツ」/Max und Moritz ヴィルヘルム・ブッシュ作 や、
「もじゃもじゃペーター」/Der Struwwelpeter ハインリッヒ・ホフマン作
(どちらも19世紀に発行されたドイツの絵本で、ブラックユーモアにあふれる) などの影響があるとも言われます。

そして、枝ぶりが美しい、生き生きとしたりんごが乗った果物籠。

バロック期の巨匠カラヴァッジォの、世界的に有名な作品を思い起こさせます。( Luis Meléndezの回に登場しました)
このりんごに枝がついていなかったら、作品の「危うさ」は半減していたのではないかなと思います。
踊るような葉っぱのついた枝ごとの描写だったからこそ、静かな画面の中に躍動感と緊張感が与えられています。

ちなみに、バルテュスは敬虔なカトリック教徒でした。パンとワイン、りんごと少女というのは、どこかキリスト教を思わせます。ミサに欠かせないパンとワイン、りんごを見つけてしまったエヴァ・・・。(もっとも、白ワインではありますが)

「ナイフの突き刺さるパン」、「不安定なりんご」、そして「幕を開ける」という行為。
これらの「動」を「静」として中心でまとめ上げる役割を担っているのが、ワイングラスであるように見えないでしょうか。

そのワイングラスの中身については、後半へ続きます。

*「バルテュス、自身を語る」/ 河出書房新社

Balthus “ Le Goûter” (1940) テート・ギャラリー蔵

Written by E.T.

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