Pablo Picasso / Au Lapin Agile にて × グルナッシュ(前編)

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2015年3月、スイス・ジュネーヴ大学の研究チームが、それまでの定説を覆すような論文をイギリスの科学誌 Nature Communications で発表した。

“Photonic crystals cause active colour change in chameleons”

それまでカメレオンの体色変化は、皮膚色素胞内の色素を含んだ細胞小器官の分散・凝集に起因するものとされていたが、そうではなくて、皮膚の虹色素胞という細胞層に含まれるナノ結晶を能動的に調節することで光の反射を変化させ、観る者の視覚を欺いていた…という新事実である。

 

そんなカメレオンのような画家がいる。

“Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz y Picasso”

そう、誰もが知る20世紀を代表する画家 Pablo Picasso (1881-1973)(以下、ピカソ)である。

実に捉えどころのない、奇妙な男だ。

 

その男はいとも簡単に「体色」を変えた。

まるで同一人物が描いているとは思えないような作風の転換は、男の人生のマイルストーンを重ね合わせるがごとく、それぞれのページに刻銘されている。

1900年以前: -1900 / -19歳
スペイン南部の港町マラガに生まれ、父親の仕事都合や美術アカデミーへの入学等もあり、ラ・コルーニャ → バルセロナ → マドリード → オルタ・デ・サン・ジョアンと、スペイン国内を転々としていた。美術アカデミーの教えに忠実に、世俗的かつ写実的な絵画をアカデミックな手法で描いた。

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“Ciència i caritat / 科学と慈愛” (1897) バルセロナ・ピカソ美術館所蔵

 

「青」の時代:1900-1904 / 19-23歳
フランス・パリとスペイン・バルセロナを行き来していた時代。バルセロナのカフェ “Els Quatre Gats / 四匹の猫” で知り合った同世代の画家で親友でもあった Carles Casagemas (1880-1901)(以下、カサへマス)とパリを訪れたものの、カサへマスは叶わぬ女性への片想いから自殺。親友の死はピカソに大きな衝撃を与え、「青」を基調とした悲愴に満ちた風俗画を描いた。

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“El viejo guitarrista ciego / 歳老いたギター弾き” (1903) シカゴ・アート・インスティテュート所蔵

 

「バラ色」の時代:1904-1906 / 23-25歳
パリのモンマルトルの集合住宅、通称 “Le Bateau-Lavoir / 洗濯船” に居を構え、Georges Braque (1882-1963)(以下、ブラック)や Amedeo Modigliani (1884-1920) らと共同生活を送っていた。恋人 Fernande Olivier (1881-1966) とも出逢い、絵からは悲哀感が消え、アルルカン(道化師)をモティーフとした絵を多く描いた。

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“Famille de saltimbanques / サルタンバンクの一族” (1905) ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

「アフリカ民族彫刻」の時代:1906-1909 / 25-28歳
ピカソは、パリのトロカデロ民俗誌博物館を訪れた際に触れたアフリカ民俗彫刻からインスピレーションを得て、自らの絵画にアイディアを取り入れた。その斬新すぎる作風は、当時、一大論争となった。

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“Les Demoiselles d’Avignon / アヴィニョンの娘たち” (1907) ニューヨーク近代美術館所蔵

 

「キュビスム」の時代:1909-1917 / 28-36歳
キュビスムは、Paul Cézanne (1839-1906) の後期作品にヒントを得て、ピカソとブラックが確立した、20世紀最大の芸術運動のひとつである。遠近を完全に無視し、被写体を解体・単純化(キューブ化)・再構築して描写する点が特徴。極端なキュビスム(「分析的キュビスム」という)は被写体が認識できなくなるほど単純化されてしまうが、ピカソは次第にその存在意義に疑問を持ち始め、新聞紙等の現実の一部をキュビスム絵画に取り入れる(いわゆる「パピエ・コレ」)ことで行き過ぎた抽象化を回避する「総合的キュビスム」を採用するようになった。

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“Table in a Cafe / カフェのテーブル” (1912) エルミタージュ美術館所蔵

 

「新古典主義」の時代:1917-1924 / 36-43歳
ピカソは、ロシア革命のために本国に戻れずパリを拠点として活動していたロシア・バレエ団と出逢い、舞台装飾を担当するようになった。その影響もあり、ピカソはキュビスムを離れ、古典に回帰することになる。

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“Portrait d’Olga dans un fauteuil / アームチェアに座るオルガの肖像” (1917) パリ・ピカソ美術館所蔵

 

「シュルレアリスム」の時代:1924-1945 / 43-65歳
シュルレアリスムは、フランスの文学者 André Breton (1896-1966) が1924年に発表した著作 “Manifeste du surréalisme / シュルレアリスム第1宣言” に端を発するムーヴメント。「無意識下での精神的自由の解放」がテーマであり、夢の中にいるような非現実的な衝動に駆られる。ピカソも第一次世界大戦後のファシズムの台頭や1929年の世界大恐慌による荒廃、スペイン内戦や第二次世界大戦の勃発等に対する政治的・経済的不安や怒りから、自らの感情を、半ば暴力的にカンヴァスに表現するようになった。

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Guernica / ゲルニカ” (1937) ソフィア王妃芸術センター所蔵

 

「戦後」の時代:1945- / 64- 歳
ピカソは91歳で亡くなるまで、精力的に絵を描き続けた。住み慣れた街パリを離れ、南仏のヴァローリス → カンヌ → ムージャンから、世界に平和に対するメッセージを送り続けた。

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“Massacre en Corée / 朝鮮での虐殺” (1951) パリ・ピカソ美術館所蔵

 

 

ピカソにとっての「体色変化」とは一体何だったのだろうか…

実は、ピカソ自身は、何ひとつ変えようとしていなかったのかもしれない。

ただただ、正直かつシンプルに感情表現をしたかっただけ、それを観る者が勝手な解釈を与えて、あたかもピカソが恣意的に描き方を変えていったような、そんな誤認をしているだけなのかもしれない。まるでカメレオンに反射する光の波長を我々が勝手に色付けて認識しているだけのように。

何の根拠もないが、どこかそんな気がしてならない…

 

捉えどころのない奇妙な男は、今も天上のどこかで、欺いた下界を肴に楽しんで筆を走らせていることだろう。

明日4月8日は、そんな男の46回目の命日である。

《後編に続く》

 

Pablo Picasso “Au Lapin Agile” (1905) メトロポリタン美術館所蔵

Written by Fumi “Frank” Kimura

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