Pablo Picasso / Au Lapin Agile にて × グルナッシュ(後編)

Pablo_Picasso,_1905,_Au_Lapin_Agile_(At_the_Lapin_Agile),_oil_on_canvas,_99.1_x_100.3_cm,_Metropolitan_Museum_of_Art

 

前週に引き続き、Pablo Picasso (1881-1973)(以下、ピカソ)の「Au Lapin Agile にて」である。本作が描かれたのは1905年、つまり前編の「体色変化」に拠れば、1904-1906年の「バラ色」の時代に区分されることになる。

「バラ色」の時代。それは、親友 Carles Casagemas (1880-1901)(以下、カサへマス)の死を受け、悲愴に満ちたブルーで社会の底辺に生きる人々を描いていたピカソのカンヴァスに、新たな命が吹き込まれた時代。

その契機となったのは、パリ郊外のモンマルトルの丘の中腹に存在した集合アトリエ兼住宅、通称 “Le Bateau-Lavoir / 洗濯船” への引っ越しであった。「洗濯船」 という呼称は、詩人のMax Jacob (1876-1944) が、セーヌ川に浮かぶそれ(当時のパリ市民はセーヌ川に係留した船で洗濯をしていた)をイメージして名付けたものである。元々はピアノの製造工場であり、居住用に建てられたものではない。Belle Époque を謳歌していた時世とは思えぬほど、狭く薄暗く、お世辞にも清潔とは言えない、朴訥な造りであった。

Le_Bateau-Lavoir,_circa_1910
1910年頃の「洗濯船」 モンマルトル美術館所蔵

 

一方、「洗濯船」で共同生活を送っていた「売れない画家たち」は、貧困には喘いでいたが、希望は見失っていなかった。芸術について追究し、時に励ましあって、互いを支えた。

ピカソの凍りついた感情も次第にほころびを見せ始め、ブルーに染められたカンヴァスに、長閑な春の陽気を感じられるようになった。「親愛」が芽生えた…とでも言おうか。その頃ピカソに Fernande Olivier (1881-1966) という恋人ができたことも、その一因と考えられる。

「バラ色」の時代のピカソは、アルルカン(道化師)をモティーフとした絵を数多く描いた。自らをアルルカンになぞらえることもあったが、放浪するアルルカンをボヘミアン(自由奔放な生活を送る芸術家)の象徴と捉えていたのではないだろうか。「自虐」の裏返しとしての画家としての「自信」とも考えられる。

Pablo_Picasso,_1905,_Acrobate_et_jeune_Arlequin_(Acrobat_and_Young_Harlequin),_oil_on_canvas,_191.1_x_108.6_cm,_The_Barnes_Foundation,_Philadelphia.jpg
“Acrobate et jeune Arlequin / 軽業師と若いアルルカン” (1905) バーンズ・コレクション所蔵

 

本作も自身をアルルカンに見立て、「洗濯船」のそばにあったキャバレー Au Lapin Agile にて、カサへマスの自殺の原因となったモデル Germaine Pichot (?-1948) とワインを嗜むひと時を描いている。奥でギターを弾いているのはこの店の店主 Frédéric Gérard (?-1938) であり、同氏からの依頼を受けて Au Lapin Agile の店内装飾用に描かれたものである。

当時撮影された店内の写真を見てみると、確かに本作が壁に飾られているのが分かる。

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Au Lapin Agile にて Frédéric Gérard のギターの演奏を聴くボヘミアンたち。1905年頃に撮られた写真とされるが、奥の壁の → の先には本作が飾られているのが確認できる。モンマルトル美術館所蔵

 

さて、前置きが少し長くなったが、ピカソが飲んでいるワインについて考えてみよう。「モンマルトルのキャバレーで提供された赤ワイン」以外の情報は特にない。キャバレーとは言え、当時栄えた Moulin Rouge や Moulin de la Galette のような華やかなダンスホール(Toulouse-Lautrec / 快楽の女王 × シャルドネ(前編)参照)ではなく、上記の写真にあるような質素な酒場という感覚に近い。「ごくごく庶民的なワイン」が提供されていたことだろう。

実はモンマルトルという丘、19世紀半ばまではブドウ畑が広がっており、丘の上の修道院ではワインが造られていた。当時は土地柄、ピノ・ノワールやガメイといった品種が植えられていたようだ。しかし、19世紀後半にかけて、害虫フィロキセラによる被害や急速な都市化により、ブドウ畑は姿を消してしまった。ちょうど Au Lapin Agile の向かいに “Le Clos Montmartre” というワイナリーが設立されたのは1933年のこと。アパートメントが乱立する中で、以前の面影を取り戻そうとパリ市がブドウの樹を植栽したのが発端である。

ただ、本作が描かれたのは1905年。都市化によるブドウ畑の消失がどこまで進んでいたかは不明だが、少なくともフィロキセラにより壊滅的な被害を被っていたことは事実であり、「モンマルトルの丘で採れたブドウから造られたワイン」と簡単に決めつけることは難しそうだ。

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モンマルトルの丘に建つサクレ・クール寺院

 

では「ごくごく庶民的なワイン」とは何か…という話になる。真っ先に思い浮かぶのは「かつては水代わりに飲まれる低廉な大量生産ワインの供給地(出所:日本ソムリエ協会 教本2018)」であったとされる、フランス南部、地中海に面したラングドック・ルーション地方のワインである。核となる黒ブドウの主要品種は、広範に植えられているグルナッシュ。

グルナッシュは元々スペインのガルナッチャという品種がピレネー山脈を越えてフランスに伝わったもの。ピカソの故郷がスペインのマラガであることを考えると、当時24歳で故郷を離れたばかりの青年が、行きつけの酒場で愛着のあるグルナッシュを嗜んでいたとしても、何らおかしな話ではない。

という訳で、今回は素直にラングドック・ルーション地方のグルナッシュということにさせて頂く。

 

Pablo Picasso “Au Lapin Agile” (1905) メトロポリタン美術館所蔵

Written by Fumi “Frank” Kimura

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