Henri Le Sidaner (1862-1939)(以下、シダネル)の後編である。舞台はパリから北西に100kmほどの位置に所在する「バラの街」ジェルブロワのシダネルの邸宅。少し遅めの朝食を愉しもうとしているところである。
ワインを「妄想」する前に、筆者とシダネルの出逢いについて少し触れておきたい。
あれはいつのことだったろうか、家族で岡山県倉敷市の大原美術館を訪ねた時のこと。El Greco (1541-1614) の「受胎告知 (c. 1590-1603)」や Paul Gauguin (1848-1903) の「かぐわしき大地 (1892)」等の名画に埋もれて、それ…はあった。「埋もれて」という表現が正しいかは分からないが、決して自己主張することなく、ただただ静かにスポットライトを浴びていた。
作品は、シダネルの「夕暮の小卓 (1921)」。フォンテーヌブローの森の外れ、ヌムールの運河を描いたものであった。点描で描かれたその作品の深みに心を奪われ、暫く絵画の前から動けなかったのを覚えている。

シダネルは、ジェルブロワに移り住んだ1901年から「食卓」シリーズを描き始めた。今日では150点ほどが確認されているが、多くは「庭とテーブルと食器類、時々ワイン」という構図である。今回取り上げた「青いテーブル (1923)」もそのシリーズの1つ。ジェルブロワの「バラの庭」は、彼の画家としてのキャリアにおける唯一無二のモティーフとなった。
さて、卓上のワインについて「妄想」していこう。
ヒントは相変わらず少ないが、比較的色調のはっきりとした白ワインのように見受けられる。ただそれだけでは埒が明かないので、今回はワインの「香り」について考えてみよう。何か新しいヒントが得られるかもしれない。
まず、ワインの「香り」は大きく3つに分類される。
Arômes Primaires / 第一のアロマ:原料ブドウに由来する「香り」
Arômes Secondaires / 第二のアロマ:発酵段階で生まれる「香り」
Arômes Tertiaires (Bouquet) / 第三のアロマ(ブーケ):熟成中に現れる「香り」
それぞれのアロマが複雑に絡み合ってひとつの「香り」として形成される訳だが、今回は特に「第一のアロマ」に着目する。主に果実香や植物・花、スパイスに例えられることが多く、ワインの「香り」の土台を成す重要なパーツである。

以下、フランスで栽培されている主要な白ブドウ品種の「第一のアロマ」の特徴である。なお、同一品種であってもテロワール(育った環境)の違いによって「香り」に差が生じてくるので、唯一の答えというものは存在しない。あくまで私見であることにご留意頂きたい。

ご注目頂きたいのは「ゲヴュルツトラミネール」という品種の「香り」の特徴である。あまり聞き慣れない名前かもしれないが、リースリングと並んでアルザス地方を代表する品種であり、栽培面積もリースリングと大差はない。
「ゲヴュルツトラミネール」は特に芳香性が豊かであり、ライチやトロピカル・フルーツ、白いバラ等の「香り」の特徴を持つとされる。そもそも “Gewürztraminer” の “gewürz” は「スパイスが効いた」というドイツ語に由来する。ちなみに “traminer” には諸説あるが、一般社団法人日本ソムリエ協会の「教本2018」には以下のような記述がある。
(イタリア最北に位置し、オーストリアやスイスに隣接するトレンティーノ-アルト・アディジェ州に所在する*)カルダーロ湖の南にあるテルメーノの村では、ゲヴュルツトラミネルが有名だ。テルメーノのドイツ語読みが Tramin(トラミン)なので、地元の人はゲヴュルツトラミネルはここが原産と主張しているが、証明されてはいない。
* 筆者追記
「ゲヴュルツトラミネール」のイタリアでの名称は “Traminer Aromatico”。ここにも「アロマティックな…」という形容詞が入っているほど、その香りは独特である。
「香り」だけではない。先ほど「比較的色調のはっきりとした白ワイン」とさらりと書いたが、実はこれも「ゲヴュルツトラミネール」の特徴のひとつである。以下の写真が同品種のブドウの果房であるが、他の白ブドウのように薄緑色ではなく、藤色がかったグリ(フランス語で「灰色」の意味)系のブドウである。その果皮の色素がワインに残り、Jancis Robinson MW の言葉を借りれば “deep golden, sometimes copper colour” となる。
なお、その他のグリ系の白ブドウ品種には、その名前にも含まれている「ピノ・グリ」や日本を代表する品種「甲州」がある。

さて、話を絵画に戻す。シダネルの「青いテーブル (1923)」を今一度想い出して欲しい。
画中に描かれていたもの、それは…
シダネルが好んだとされ、摘まれて椅子の上に描かれた白い枝垂れバラ、
机上のバスケットに盛られた熟れた桃やマスカット。
そう、いずれも「ゲヴュルツトラミネール」の品種個性とぴったりマッチするのである。
庭中、いやジェルブロワの街中をバラの花で埋め尽くそうとしたシダネル。
彼にとって、香り高き「ゲヴュルツトラミネール」で始まる朝の1杯は、まさに至福のひと時であったに違いない。
Henri Le Sidaner “La Table Bleue, Gerberoy” (1923) シンガー美術館所蔵
Written by Fumi “Frank” Kimura
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