名画のワインリスト ×「緑の妖精」と呼ばれたお酒(後編)

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前編に引き続き、1850年頃から1900年代初頭にかけてフランスを中心に欧州全域で爆発的に流行した「アブサン」というリキュールについて、「名画」を交えながら見ていこう。

当時の「アブサン」という社会現象は、以下の Absinthiana という専門取扱業者の記述に明るい。やはりアブサンの普及の裏には、病害等によるワインの衰退が大きく関係していたようである。

It is commonly believed that the downfall of the vineyards of France in the late 1800’s indirectly led to the Green Fairies popularity. When French vineyards were hit with a phylloxera outbreak* (grapevine pests) and the price of wine skyrocketed, the working class started drinking cheaper spirits like absinthe.

​By the early 1900s, absinthe had grown in popularity and was far outselling local French wines. In Fact, absinthe had grown in popularity in other countries as well and was being heavily consumed over most of Europe. In the late 1800’s, 2 million gallons of absinthe was exported from Europe to the U.S alone.

* 筆者修正
https://www.absintheaccessories.org/history-of-absinthe.html

 

大流行の一方、アブサンの主原料であるニガヨモギという植物にツヨンという物質が含まれ、その影響で麻酔作用や幻覚作用等の中毒症状が生じ得る…という話は、前編で述べた通りである。

そこでもさらっと触れたが、アブサンの多量摂取により命を落とした者も少なくなかった。

 

例えば、本ブログ開設間もない時期に登場した Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901)(以下、ロートレック)。37歳という若さで死した天才だが、その死因もアブサンによるものと言われる。

「ロートレック」という生き方。20代そこそこの若さでパリ モンマルトルのキャバレーに入り浸っては娼婦たちを愛し、例に漏れず酒に溺れた。ロートレックの作品にも頻繁に登場するキャバレー Moulin Rouge がオープンしたのが1889年。ちょうどその頃からアブサンの量も増え、1899年に精神病院に入院するまで(実際には退院後も!)飲み続けた訳だから、余程の依存症であったに違いない。

そんなロートレックが残したアブサンの絵がある。29歳の時に描いた “Monsieur Boileau au Café (1893)” である。Monsieur Boileau と思われる男性が坐したテーブルに在るターコイズ・ブルーの液体。これこそがアブサンである。白濁しているのは水で割った証左であろう。男性の目前にはまた別のアルコールがあり、またその距離感からアブサンを飲んでいたのはこの男性ではないことが分かる。恐らく、この絵画に描かれていない、いや寧ろテーブルの手前に坐してこの絵画を描いた人物、すなわちロートレックが自ら飲んでいたのはないだろうかと想像できる。ロートレックの日常を窺い知ることができる作品である。

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Henri de Toulouse-Lautrec “Monsieur Boileau au Café” (1893) クリーブランド美術館所蔵

 

 

さて、アブサンをモティーフとした「名画」として、この作品に触れない訳にはいかない。Edgar Degas (1834-1917)(以下、ドガ)が描いた、その名も “L’Absinthe (1875-1876)” である。

実はこの作品、元のタイトルは異なる。“Dans un Café” すなわち「カフェにて」という原題であったが、1893年のロンドンで開催された展覧会において “L’Absinthe” というタイトルで出展され、それがそのまま通称となった。恐らく「ドガ」という画家をロンドンの美術マーケットで売り出すに当たって、フランス文化の象徴としてのアブサンをタイトルとした方が、観る者の注目を浴びると考えたのだろう。

ドガというとパリ オペラ座の「踊り子」をモティーフとした絵が多いが、本作はやや様相が異なる。舞台はモンマルトルの近くの La Nouvelle Athènes というカフェ。印象派の画家たちの溜まり場であった。どこか焦点の定まらない、虚ろな視線を投げかける女性。モデルの Ellen Andrée (1857-1925) であり、Édouard Manet (1832-1883) や Pierre-Auguste Renoir (1842-1919) の絵にも頻出する女優である。本作が1875年頃の作製であるから、年の頃18歳の Ellen Andrée を描いたことになる。

手元には水で割ったアブサン。悲哀に満ちたその表情からは、何か大きな不安から逃避する為に、ある種の薬物としてのアブサンに依存しているようにも思える。

恐らくは周囲の画家たちが彼女に教えたのだろうが、10代後半の言わば少女にもごく普通に飲まれていたアブサンというお酒の日常生活への深い溶け込みが感じられる作品である。

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Edgar Degas “Dans un Café, dit aussi L’Absinthe” (1875-1876) オルセー美術館所蔵

 

 

Vincent van Gogh (1853-1890)(以下、ゴッホ)もアブサンで身を滅ぼした画家の1人である。ゴッホは自ら耳を切り落としそれを娼婦に送ったり、拳銃で自殺したりと、明らかに精神的な病を抱えていた。そしてそれらの原因をアブサン中毒によるものと唱える学者がいるほど、アブサンを多飲していたとされる。

下掲は “Cafétafel met absint (1887)” である。アルルに旅立つ前年にパリで描かれた。外に人影も見えるが、あくまで主人公はアブサン。静物画の感覚であろうから、いかにゴッホがアブサンを愛飲していたかが分かる。

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Vincent van Gogh “Cafétafel met absint” (1887) ゴッホ美術館所蔵

 

 

Pablo Picasso (1881-1973)(以下、ピカソ)もアブサンをモティーフとした絵を多く残した画家の1人である。特に、親友 Carles Casagemas (1880-1901) が自殺し、その哀しみから悲愴に満ちた風俗画を描いた「青」の時代 (1900-1904) に、集中して同モティーフを描いている。

“La Buveuse d’absinthe (1901)” はこれまで取り上げてきた作品とは異なり、女性が原液のままアブサンを飲もうとしている。液体の色も鮮やかな蛍光グリーンのままである。

そしてもう1つご注目頂きたいのが女性の「右手」。何やら白い固形物をつまんで、アブサンに入れようとしているのが分かる。恐らくこれは角砂糖であろう。前編でも触れた通り、アブサン自体は甘みのない薬草のようなリキュールである。そのため、アブサンの伝統的な飲み方として、特有のスプーンの上に角砂糖を置いてアブサンを垂らし、火を付けた角砂糖(アブサンのアルコール度数は高いため火が付く)をアブサンに溶かして飲むという方法がある。アブサン・スプーンのくだりは省略されているものの、ここは角砂糖と考えて違和感はないだろう。

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Pablo Picasso “La Buveuse d’absinthe” (1901) オルセー美術館所蔵

 

 

このように19世紀後半のヨーロッパを風靡したアブサンというリキュール。美術史を語る上で避けるに避けられないテーマであることをご理解頂けたものと思う。

アブサンが歴史上に登場していなかったら、「印象派」という時代も大きく違うものになっていたかもしれない。勿論「味気のないものになっていたかもしれない」という意味で。

 

Hermann Adolph Köhler et al. “Köhler’s Medizinal-Pflanzen” (c. 1887)

Written by Fumi “Frank” Kimura

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