骨格がよく背も高く、整った容姿を持ち、しかし華やかさやスキャンダラスな事柄とは程遠い沈思黙考型のフランス人。

ピカソとともにキュビスムの創始者として知られています。
ですが、長い生涯も手伝って実際の創作活動はもっと幅広く、鮮やかな色を操るフォービズム(Matisse参照)に始まり、70代を過ぎてから宝飾デザインまで手がけます。内向的な性質に満ちていたのは堅牢な情熱だったのでしょう、それを形にし続けてきたアーティストです。
ピカソとキュビスムと
とはいえやはり、美術史への一番の「貢献」といえばキュビスムを創ったことに他なりません。ムーブメントがそれ自体では収まらず、後世に、そして分野を超えて各方面に影響を与えるほどの投石だったという意味において、重大な出来事でした。
印象派やキュビスムなど新たなムーブメントが生まれる前の世界は、大きな渦の中。技術革新、政治改革、社会構造の大きな変化。写真が発明されたのちの美術の世界で、アーティストたちが新たな表現を探し求めたのも必然の流れです。
ルネサンス以降、三次元的で「写真のよう」であることが「美しく」て、絵画として評価されてきた流れを打ち砕いたのが印象派。「近代美術」はここから始まっています。
その流れの中で生まれたキュビスムは、さらに「現代美術」へ続く流れの発端となっているのです。
キュビスムがなければ、その後の未来派もダダイズムもシュルレアリスムも、コラージュというスタイルも生まれなかったかもしれません。
そんな大仕事を若いうちに成し遂げたのにも関わらず、ギラギラの太陽のようなピカソと一緒だったせいなのか、ブラックの名はその強烈な光の影となり、ピカソほどの知名度はありません。
例えるなら、ピカソが赤でブラックは青、動なら静、球体なら直方体、炎なら雫…そんなイメージ。
正反対の二人なのにも関わらず、キュビスムのある時期の作品は区別不能と言われるほど、似通っています。
困ったことに、署名がないものも多いのです。


キュビスムについてもう少し
上記の2枚は、「分析的キュビスム」と分類されます。
「キュビスム的」な作品が生み出される期間はしばらく続くものの、このムーブメントは1907年から1914年がピークとされ、4つの段階に分けられています。
「キュビスムの始まり」の段階はちょっと複雑で、エクス=アン=プロヴァンスの巨匠、セザンヌが大きなキーを握ります。
彼は、一つのものを多視点から捉えて、二次元の画面に描きました。よく「りんごが落ちそう」といわれるのはそのせいです。Pola美術館の体感的動画があったので試してみてください。
セザンヌを見たブラックは衝撃を受け、風景も人も物もすべて立方体や球などに還元し、配置していく試みをします。色彩は抑えられていますが、まだそれとわかるほどには色がついています。

一方ピカソ側では、かの有名な「アヴィニヨンの娘たち」がこのスタイルの始まりとされています。
こちらは「プリミティブ・アート」(原始的な生活・文化にインスパイアされてできる作品群)に通じ、直接的にはアフリカ原住民の「お面」を見たことが関わっていますが、彼女たちを構成する線を見てみると、同じく単純形態に還元されているのがわかります。
ブラックはこれが完成した直後に誰よりも早い段階で目にした一人ですが、ここでも大変な衝撃を受けています。
ブラックでなくても誰もが「ピカソは終わった」と言ったほど破壊的だったので、当然ですが…。

その後、この「立方体たち」をより分解していったのが先に挙げた「分析的キュビスム」。
影はなくなり、統一感を残すため色彩はほぼグレートーン。二次元的で表面的。
このあとはコラージュなどが加わった「総合的キュビスム」を経て、ロココ的キュビスムと呼ばれる少し装飾的な作品へと入っていきました。
キュビスムとは、乱暴なのを承知で一言でいってしまえば、「対象をデフォルメして再配置した絵画」。
古典絵画のように対象の見たまま(あるいはその理想化)を画面に写すのではなく、印象派のように主観的な景色を描くのでもなく、対象のエッセンスを抽出して形(キューブ)に還元して描くということなのです。
ブラックの絵画
ブラックの使ったモチーフ。
分析的キュビスム時代にもっともよく使われた新聞やバイオリンが目立ちますが、(ヴァイオリンやギターはあくまで作品素材で、自身はアコーディオンを弾いていたそう)その後の活動で多く使われ、彼らしいものといえば鳥、青、魚、水差し、レモンなどがあります。
どれもチャーミングなのに作品の静けさを深め、私はそのモチーフだけで彼の作品に惹かれてしまいます。
さて、しかしこの画家は、モチーフを使って何かのテーマを語らせるということをしません。
「鳥は鳥で、平和の鳩ではない」(George Braque/セルジュ・フォーシュロー/1990/美術出版社)と言われるとおり、モノに無理をさせないのです。それでいて、芸術とは「説明できないもの」を内包しているべきという彼の言葉通り、そこには確かな質量があるように思います。
二匹の魚
この作品に関してはダークブラウンと黒を使って鱗らしきものがきちんと見て取れますが、ほぼ同じ構図で描かれた翌年の作品では、魚は真っ黒になっていました。

カラフェとカトラリーがなくなり、代わりに関係のないリンゴが描かれ、画面からストーリーが消えました。
年代を見てください、これらの作品が描かれたのは、第二次世界大戦の真っ只中です。ドイツと大変な緊張状態、画家はパリにいましたが、政権と、というより外界一切と、関係を絶っていました。アトリエにこもって一人制作に励むこの戦時中はブラックの生涯にとっても悲しい日々だったようです。
必然的に描く対象は日用品や室内画ばかりで、サイズも小さなものが多くなります。
とはいえ元来静かに熟考することとは相性が良かったはずなので、この間にも様々な思索を深めたことでしょう。
画家の目にこの魚とカラフェはどう写り、どんな思索のもと生み出されたのでしょうか。
印象派が評価を得ていくまでの変化の真っ只中に育ったブラックが、自身が大人になった時「現代美術」のたまごを生むことになった。
こうして俯瞰できるのは後になってだけれど、今現在私たちを取り巻く環境が、次世代の何を生み出すきっかけになっているのか、目の前のものはどういう流れでここに生まれているのかと思うと、常に世界をひろく捉えておきたいなと、意識させられるのです。
George Braque “La carafe et les poissons” (1941) ポンピドゥー・センター蔵
Written byE.T.
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