後編は、魚ではなくカラフェに入ったワインについて見ていきます。
実はブラックは、お酒をモチーフとしてたくさん選んで描いているのに、ワインとなるとそんなに多く見つけることができません。
ワインだろうと思ってじっくり観察してみると実はビールだったりラム酒だったりシェリーだったり(シェリーなのはいいけれど答えが明白すぎて使えなかったり)、ワイングラスというタイトルではあるものの中身は空だったりと、一度はピックアップを諦めようとしたほどです。
しかし、キュビスムの創始者である彼をなんとか登場させたく探し続けていたところ、辛くもこの作品に出会い、今回晴れて扱うに至りました。
というわけで晴れて目の前にした、この濃い黄色のワインを追いかけてみましょう。
先の画像ではほぼオレンジに見えますが、作品集に載っている写真(画質の問題で使えなかった)ではもっとクリーム色に近く自然な白ワインの色をしています。⬇︎
素直にみて、スティルワインの白でしょう。しかし他には情報なし、グラスもなし、魚の味付けもわからないのでマリアージュからも攻められない。
ではブラックはどこの地域のものを選んだだろうか・・・と妄想を膨らませそうとしたところ、
この先へ探求を進めるには、考えなくてはいけない大問題がありました。
戦争とワイン
そう、前編でも触れましたが、この作品が描かれたのは1941年で第二次世界大戦の真っ只中。
しかもフランスにしてみると、ちょうどこの前年からドイツに占領されているのです。
フランスワインの立場にとってみると、ワインをめぐりまるで戦争そのものかというほどの激戦を繰り広げていました。
一度カラフェから離れて、この辺りの状況から見てみる必要がありそうです。

戦渦のフランスワインの悲劇
①
ぶどう栽培に関わっていた男性の多くは、戦争期間全体にわたって捕虜となり、強制労働者としてドイツに送還されました。担い手のいなくなったワイン畑は当然荒れていきます。ドイツにいる男性陣の元に届く故郷からの手紙には「ぶどうの対処の仕方がわからない」という内容が書かれていて、悔しい思いをしていたそうです。
②
当時、化学肥料や殺虫剤はほとんど存在しておらず、ぶどうの処理には硫酸銅が不可欠でした。ですがそれを作るための銅は没収され、ドイツに送られました。そしてワインボトルもまた、常に不足していました。
③
最も重大な被害、ワインの没収です。
実際には「没収」は初期の頃だけで、その後は「輸出」という形態でしたが、ドイツ側が提示する価格で引き渡す以外に選択肢はなく、生産者にとってみたら強奪以外の何ものでもないでしょう。
ヒトラーを除くドイツの官僚たちは、ワインの味を知っていました。(ヒトラーの口には高級ワインは合わなかったよう)
シャンパーニュもブルゴーニュもロワールもボルドーもすっぽり占領下に入っていたので、彼らは銘醸ワインを片っぱしからドイツに送らせました。
ワイナリーも必死で抵抗し、大切なワインをいかに守るかありとあらゆる対策を講じましたが、(その対策たるや本当に必死で、隠し洞窟を作ったり、野菜畑の下に埋めたり、水で薄めて出荷したりと、涙ぐましい努力だったようです。詳しくはこちらの本「ワインと戦争」Wine and War /Don&Petie Kladstrup 2003/をご覧になってみてください。)
これらの悲劇と折り合うため、ヴィシー政権は「アルコール禁止日」を作ったり、最低飲酒年齢を14歳に設定したり(フランスでは長年子供もワインを飲む習慣があった)と対策を講じていました。一方で、兵士たちにはワインを供給していたため、賄うためにフリーゾーンだった南側ではワインの生産量は上がっています。
ところでナチス政権の文化の破壊ぶりは、美術の世界でも有名です。
ヒトラー自身絵を嗜み、ウィーン美術アカデミーへの入学試験を二度受けるもかなわず、
その憤りなのかコンプレックスなのかただの強欲なのかわかりませんが、
あらゆる美術品がフランスから奪われ、焼かれ、それを避けるためにこちらも必死で隠されました。
名画とワインの当ブログにとってはとんでもない敵ですね。

だいぶ陰鬱になってしまったので、話を戻します。
そんなわけでこの作品が描かれた頃、
ブルゴーニュの芳醇なシャルドネも、ロワールの爽やかなソーヴィニヨンブランも、ボルドーのじんわりセミヨンも、手に入る確率はかなり低かったと思われます。
ドイツとフランスに挟まれたアルザスももってのほか。
しかしドイツの占領下で財政的に相当苦しかったフランスが、活発な輸入を、ましてワインを大きく他国に頼ることは考えにくい。
となると、フリーゾーンであった南側で大量に作られていたワインが選択肢として残ります。
フリーゾーンの中には、ローヌ、プロヴァンス、ラングドック=ルーションがありますが、ローヌワインの歴史と名声も十分知っているであろうドイツが、見逃すわけはありません。占領下からワインを持ってくる以外の方法でフランスに送らせていたと考えた方が良い。
プロヴァンスは考えられなくもないけれど、もう一つの敵、イタリアが目の前に迫っており緊張状態。
残りは、広大な栽培面積を誇るラングドック=ルーション。
ここで大量生産されたワインなら、まずはまとめて大都市に集められるのも不思議ではない。
この頃はまだパリにワインマーケット(こちらもMatisseの回に登場)があったので、ここから各店舗に卸されるという図もありえそうです。
画中は白ワインなので、今では白の生産地としてAOC認定されているClairette du Languedocのあたりで生産されたクレレットやソーヴィニヨンブラン、という結論とさせていただきます。
今回はブラックを追って行ったら、思いがけず戦時中のお話になってしまいました。
前述した通りブラック自身はパリに引きこもって制作に明け暮れていた時期です。歴史の同じページを、ワインという同じキーワードでひもといたのにも関わらず、一方は戦場や収容所の悲惨な状況でささやかな喜びとしてのワインあり、一方では優雅に楽しむ略奪したワインあり、そして一方ではそのワインを描いている。
一本のワインの立場にとったって、数奇な運命があるのだなと思います。

ブラックはWW2(第二次世界大戦)には徴兵されていませんが、WW1では大怪我を負い、失明の危機にも晒され辛うじて帰国、画家として復帰することができました。
その後長生きした彼の命日は、今月末。8月31日です。
George Braque “La carafe et les poissons” (1941) ポンピドゥー・センター蔵
Written by E.T.
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