Paul Klee/ カラフルな食事 × Coteaux d’Ancenis(前編)

Paul Klee-BunteMahlzeit

パウル・クレー(Paul Klee 1879-1940)という画家がいます。
スイスに生まれ、ドイツでキャリアを積みますが、最後にはまた故郷へ戻り、今も彼の作品の多くはスイス・ベルンにあります。

PAul Klee

画家の名前は世界中で知られ、日本では特に谷川俊太郎氏の詩集「クレーの天使」でご存知の方々もいらっしゃるのでは。

その影響からか、彼の作品というと優しいものを思い出す方がほとんどだと思います。

クレーの天使

音楽家クレー

クレーは、音楽に非常に縁のあった画家として知られます。
ドイツ人の父親は音楽教師、スイス人の母は歌手、のちの妻リリーはピアノ教師。
子供の頃はむしろ絵よりも音楽にその才能を発揮したヴァイオリン弾きで、なんと11歳でベルンのオーケストラに籍を置く子供。

音楽家の道へ突き進んでもおかしくない環境の中で育ったのにも関わらず今私たちが彼の作品を見られるのは、彼の母方の祖母が子供のクレーに絵を教えていてくれたからなのです。ありがたい存在ですね。

音楽用語が登場している作品は少なくなく、プロにはならなかったものの音楽は彼の生涯に寄り添い続けていました。

フェルマータのある素描/ 1918

ちなみに、文学にも興味と才能を発揮していて、かの詩人リルケとの接点もありました。

主夫クレー

ところでクレーの作品は、多くがノートをひとまわり大きくしたくらいの小さなもので、画材も水彩やペンなど軽やかなもの。
いわゆる “タブロー” の数は数えるほどしかありません。その理由のひとつには、彼の生活事情があります。

ドイツはミュンヘンの美術学校に通い、その後画家となり結婚した頃のクレーには、まだ収入源がありませんでした。
しかし、結婚一年後には子供も生まれます。生活を支えていたのはクレーではなく、妻リリーのピアノ教師としての収入。
家事はクレーの仕事。料理も得意だったクレーは、炊事に育児と、現代人に勝るとも劣らない旦那さんだったようです。

左から息子フェリックス(もう15歳)と愛猫、クレー、クレーの姉/1922

ではいつどうやって絵を描くのでしょうか。
大きなアトリエを持つ余裕も、そこで過ごす時間も、もちろん彼にはありません。

家事をこなすキッチンやテーブルの一角。そこが自然と彼の仕事場です。
限られたスペースで描く作品は、キャンバスではなく紙に、油彩ではなく水彩やペンに、なっていたのはごく自然なことでしょう。

クレーの作品というと、優しくてカラフルな色彩をまず思い浮かべる方も多いと思いますが、
もともと彼は「線の画家」と呼ばれていました。
作品の本質は色やマチエールよりも線に込められていたのです。

なので少なくとも素材という面ではそういう事情を「制約」とは捉えなかったのではと思います。
ちなみにパリではキュビスムが台頭したのとほぼ同時代の話です。

 

 

senecio
セネシオ/1922 厚みのある暖色がふんだんに使われた、おそらくもっとも知られた作品のひとつ

私自身は、彼の線にも色彩にも同じくらいの強さで惹かれてしまいます。ですが色彩が同じようなスタイルの画家を見つけることもできるのに対し、線の方はより、彼独自のものであるという印象があります。

 

記録人クレー

人は内向的であるほど文章を残すのでしょうか。

たくさんの画家を見ていると、そんな気がしてきます。
クレーも膨大な日記やメモを残し、のちに彼の息子がまとめ、出版しています。
ただクレーは生前、日記を自身でまとめて編集していました。40歳くらいのことのようです。
彼は18歳から記録としての日記をつけ始め60歳で亡くなっているので、ちょうど半分のものはすっきり整理された状態だったということ。
嘘はないとしても、ある程度無駄なものは整理され、生の文章の温度感のようなものは、ある程度失われてしまっていることは否めないと思います。
40歳で、大学入学からの記録を整理する・・。
自分に当てはめたら、なかなかのタイムトリップだなと感じますね。

何れにせよ私たちはおかげで、彼の苦悩や喜び、その日の献立まで、多くのことを手記から読み取ることができます。

画家クレー

文化とは、ある質を持った生活のことです。
クレーは子供の頃から存分にその質に触れ合っていたことで、彼の感性を肥沃にし、多様な作風を生み出したのかもしれません。

内省的な性格も手伝って、彼の作品は表に出てくる前に画家の中で幾重にもかさなったり混ざり合ったり。
作品の表面はとてもピュアなように見えて、実はなかなか簡単に分け入ることのできない、世界の深みを感じられる気がしませんか。

多様な作風と書きましたが、彼は可愛い天使を描いていた画家ではありません。

むしろそれは最晩年に集約されたことで、キャリアの途中で通過してきたスタイルにはシュルレアリスム、キュビスム、表現主義、線描あり点描あり柔らかな色彩あり、ととにかく多様です。

phenix/1905
シュルレアリスムの作品。なかなかブラックです。

最後になりましたが、”Bunte Mahlzeit” (Colourful Meal)と名付けられた今回の作品を見てみましょう。
解説のようなものは見つからなかったので、ただ見て感じて自由に言葉にしてみようと思います。
面白いので、みなさんもぜひやってみてください。

それでは改めて作品をじっくり見てみます。

Paul Klee-BunteMahlzeit

背景こそ真っ黒だけれども全体的にユーモラスで楽しげ。
不可思議ではあるものの皮肉さやグロテスクさは感じられない。
モチーフの形態も色味も用途もバラバラ、それにもかかわらずまとまりのある画面。

全体をみると、点在するまるいオブジェクトが黒い背景に浮かび上がって、まるで宇宙を見ているような気分になってきます。

真ん中の、猫のようなウサギのようなキツネのような生きもの、その彼(女)が持つ小さなハート。
受話器を通した会話は愛のあるものなのでしょうか。

 

ここには繋がりそうで繋がらない、モノたちの無秩序と秩序があります。

たとえば

かわいらしいグラスから奇妙な溢れ方をしたワイン。
どうみてもワインに見えるけれどなぜかボトルには“コニャック”。

五つ又のフォーク。
ケーキ用にしては大きいし、左にあるのでナイフとペアで使うことが想像されるけれど、相方はいない。

たて半分に切られたピンクの卵。
切られたもう片方は見当たらず、あるのは真上から見た形、つまり切られる前の状態の卵の形。

一方で赤い屋根の家を見てみると、
格子で4つに分けられた窓、窓の一部を担うような「5」、屋根にある6つの逆三角形。リズムがあるのは偶然でしょうか。

他には、塔のようなものを乗せた顔、旗、ぐるぐるとした食べ物(?)がふたつ。上のものはその色合いもあって、なんだか牡蠣のようにも見えてきました。下方の黄色いぐるぐるを良いコントラストの青で支えるのは、エッグスタンドにも見える。

少なくとも、ここは食卓のはずなのです。

作品のタイトルのドイツ語Bunteを調べてみると、雑多な、とかバラバラの、とかいう意味も出てきました。
ですからここではおそらく「彩り豊かな(=栄養満点の) 食事」のイメージはなく、むしろおもちゃ箱のようにごちゃっとした、ユーモラスな、世界の乗ったテーブルが浮かび上がってきはしないでしょうか。

それならば、おかしな感じにこぼれているワインも、愛嬌があるというものです。

Paul Klee “Bunte Mahlzeit” (1928) /Neue Galerie Written by E.T.

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