Georges de La Tour / ダイヤのAを持ついかさま師 × Vin Gris(前編)

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250年もの間、美術史上から姿を消していた画家がいる。1652年にこの世を去って1915年に美術研究家に存在を見出されるまで、その後彼が「夜の画家」と評されるかの如く、深黒の闇の中で尊い眠りについていた。20世紀に入って間もなく表舞台に忽然と姿を現した彼は、瞬く間に「時の人」となった。

彼の名は Georges de La Tour (1593-1652)(以下、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール)。当時はまだフランスからは独立した国家であった、ロレーヌ公国の画家である。

 

筆者と彼との出逢いは14年ほど前。逆サバを読まずに答えると、ちょうど大学に入学した年の春から初夏にかけて。親元を離れ上京し、初めての一人暮らしで友達もろくにおらず、心の安らぎを求めて上野に行った時のこと(上野の美術館には学芸員だった母親と良く訪れていた)。桜舞い散る国立西洋美術館で開催していたのが「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」であった。ポスターの「再発見された神秘の画家」というキャッチコピーに釣られて入ったこの展覧会に、本作はあった。

幸運でしかなかった。そもそも世界で彼の真作と認められている作品はたったの40点余り。元々が謎に包まれた画家だから、その40点すら真贋を疑う研究者がいるほどである。そのうち20点近い(恐らく)真作が日本に集まっていた。のちに聞いた話では、2003年に国立西洋美術館がジョルジュ・ド・ラ・トゥールの “Saint Thomas / 聖トマス (c. 1624)” をコレクションに加えたことが、2度と国内で実現することが難しいかもしれない「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」開催の契機になったようである。

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“Saint Thomas / 聖トマス (c. 1624)” 国立西洋美術館所蔵。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの連作 “Série des apôtres d’Albi / キリストの十二使徒” の中の一作である

 

さて、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールという男。伝記的な文献も多くはなくまるで霧のような画家であるが、バロック美術の泰斗とされ、彼を深い眠りから現世に目覚めさせた Hermann Voss (1884-1969)(以下、ヘルマン・フォス)やルーヴル美術館前絵画部長の Jean-Pierre Cuzin(以下、J. P. キュザン)とその補佐 Dimitri Salmon の論述が参考になる。

生まれは1593年、ロレーヌ公国の小さな町 Vic-sur-Seille / ヴィック=シュル=セイユ。「ロレーヌ」は現在ではベルギーやルクセンブルグ、ドイツに面したフランスの一地方であるが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが生まれた当時は、ロレーヌ公 Charles III / シャルル3世 (在位:1545-1608) が実権を握る独立国家であった。続く Henri II / アンリ2世 (在位:1608-1624) の頃までは繁栄を極めたが、本作が描かれた Charles IV / シャルル4世 (在位:1624-1675) の在位中は戦火が絶えなかった。

1620年に、同じくロレーヌ公国内の Lunéville / リュネヴィルに引っ越し、市民税を納めた記録がある。記録が断片的であるため確実ではないが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールはその人生の殆どをロレーヌ公国で過ごしたようだ。国外に出た形跡は殆どない(若い頃にイタリアを旅していたのではないかという論もあるが…)が、1639-40年にはパリを訪れ「フランス国王付画家」の称号を得ていた記録が残っている。また、ルーヴル宮殿に居室を得ていたであろう文書も見つかっている。ロレーヌ公国に在りながら、隣国にも名を馳せていたほどの画家である。それが250年もの間、美術史上から姿を消していたというのだから…やはり謎は深まるばかりである。

「ジョルジュ・ド・ラ・トゥールに対し、国王陛下の任務に係る仕事のために、彼が行ったナンシーからパリへの旅行について、1,000リーヴルの支払いを命ず。ここには、6週間お滞在と復路の費用も含まれる」

1639年5月17日付;フランス国王ルイ13世による支払い命令書

 

本章の最後に、彼の絵画について観ていこう。「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」と言えば、先にも触れた通り「夜の画家」である。それは「蝋燭の光」に照らされた人物画を得意としたからである。わずかに残るロレーヌ公国の古文書にも「夜の情景を得意とする」旨が書かれており、そのことがより事態を複雑にさせた。

J. P. キュザン(訳:望月典子)は国立西洋美術館で開催した「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展」のカタログの中で「晴天の霹靂とも言うべき事態」と述べているが、1931年にヘルマン・フォスは、新説を展開するまでジョルジュ・ド・ラ・トゥールの真作とされていた8枚の「夜の情景」とは全く関連性の見出せない4枚の絵画を彼の真作と認めた。

そのうちの1枚が「昼の情景」を描いた本作である。

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“L’apparition de l’ange à Saint Joseph / 聖ヨセフの夢 (c. 1630-1635)” ナント美術館所蔵。ジョルジュ・ド・ラ・トゥール再発見のきっかけとなった「夜の情景」。本作「ダイヤのエースを持ついかさま師」とは似ても似つかない

 

後編では本作の中身について触れるとともに、ワインの核心について考えていこうと思う。

 

《後編に続く》

Georges de La Tour “Le Tricheur à l’as de carreau” (1636-38) ルーヴル美術館所蔵

Written by Fumi “Frank” Kimura

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