Raoul Dufy / 黄色い家の前の静物 × Palette(前編)

ラウル・デュフィ(Raoul Dufy, 1877-1953)は、野獣派に分類されるフランスの画家です。
野獣派といういささか乱暴なネーミングがそのまま定着してしまったことにはいまだに不思議な印象を拭えませんが、時には現実の色を完全に無視し、原色鮮やかな色彩で描かれる作品スタイルを指します。(ゴーギャンはこの枠にははいりません。)

このブログの始まった頃に、マティスの回でちらっと触れました。

画家はル•アーブルという港町、フランス北西部に生まれ育ち、のちにヴァンスやニースなど南仏に長年滞在、生涯を通して海をたくさん描きました。

DUFY_Raoul
制作中のどんな写真でも、常にシャツ・ジャケット・タイをつけている、”ビジネスマン” デュフィ

出会い

デュフィは、英語で言うところ Social Event の画家と称されます。
ご存知の方は「競馬場」あるいは「オーケストラ」または「パリ万博」を思い浮かべるでしょう。

それぞれ後ほどご紹介しますが、その前に私の出会いを書かせていただくと、出会いは20代の半ばと遅く、それは一枚の絵葉書でした。

当時勤めていた会社を退職するにあたり、ある人がメッセージを書いて渡してくださったポストカード、それがイギリスのダービーを描いたデュフィの作品でした。

私はロンドンに行くために退職したので、その絵の中に描かれていた、小さくもたくさんのユニオンジャックは、この画家がフランス人であったにも関わらず、自分の心を彼の地へいざなうようでした。
要は、まず目に入ったのがユニオンジャックだったというほど、私はこの画家について無知だったということです。まして、このダービーのシーンがこの作家の代表的なモチーフであることなど知る由もなかったのでした。

あれから何年も経ち、アートマーケットでたくさんの彼の作品を見る機会に恵まれましたが、最初に見た時の不思議に透明な印象は、不思議なほどそのままでした。

よっぽど印刷が優れていたのか、彼の色彩が印刷をものともしないのか、どちらなんでしょうか。

エプソム、ダービーの行進/1930(実際の絵葉書は別作品)

画家のスタイル

どの作家もそうであるように、長い(時には短い)画業の中で、「その作家らしさ」を存分に発揮した作品が突然生まれるわけではありません。

普通は自分が突き詰めるべき場所を見定めるまで試行錯誤し、探求し、その画家にしかできないスタイルの確立を以って、画家の才能と技量が評価されます。

そこには当然、見定めた場所を信じる自信が、必要です。

マティスなら厚い色彩と壁紙の柄、ターナーなら光と空気、ジョルジュ・ド・ラトゥールなら暗闇の蝋燭。
ちなみにどのスタイルでも完成度を極限まで持っていってしまったのが怪物・ピカソなわけですが、才能に加え自信があったのはもちろん、それ以上に、まるで油田を体内に抱えているような恵まれたエネルギーがあったのでしょう。

(超多作で超多様な彼のダイジェストはピカソの回へ)

話をデュフィに戻します。では、彼の作品を彼のものたらしめる「到達点」はなんでしょうか。
彼も相当たくさんの“寄り道”をしており、いま私たちがまっすぐ思い浮かべる作風が生まれるのには、彼の50代まで待たなければいけません。しかし、その萌芽は1920年に差し掛かる頃から徐々に見えてきます。

写真 2019-10-06 10 57 28
マティスが赤でロートレックが黒、J.M.W.ターナーが黄色ならば、デュフィは、とにかく青を愛した画家だった

 

透明な青

作品の特徴の一つは、高い透度の色彩です。
デュフィは水彩も多く手掛けましたが、キャンバスには水彩絵の具では描けません。当時はアクリル絵の具もありません。
ではあの透明感はどうやって成り立っているのか。

それには、ちょうど同じ頃、ジャック・マロジェという科学者が開発した、顔料の透過性をあげるメディウムという溶剤を使用していました。
水絵の具をたっぷり染み込ませた筆で描いたような、クリアな表面。それでいて水彩画のような淡さはなく、しっかりとした質量が感じられます。

マロジェとデュフィは親交があり、その手紙の一部には色彩に関する二人の結論があったほどです。

曰く、

・色彩効果を望めば望むほど、できるだけそれを濫用しないこと

・暖色と寒色、不透明と透明のコントラストをつけること

・灰色、黒及び白といった無彩色の色を生かすこと

不透明と透明のコントラストとは、同じ画材で仕上げるにはかなり高度な技術ではないでしょうか

 

この画材使いが遺憾無く発揮された、「電気の精」。 パリ万博のために描かれた、縦10m横60mの超大作。大きすぎてとても入らないので、ぜひリンク先:ポンピドゥーセンターのウェブサイトで見てみていただきたい

 

線は線、色彩は色彩

もう一つは、線と色彩が独立している点。

特に晩年のデュフィの画面は、大きな筆の動きで彩色された部分はもちろん、輪郭線の筆の運びにも勢いがあり、まるでカフェのテーブルで膝に乗せたスケッチブックに走り描きでもしたかのようです。
このズレはまた版画のようでもあり、輪郭線をプリントした上に色の版を重ねたようなおもしろさがあります。

実はデュフィは、テキスタイルデザインでも名を馳せています。

当時の技術では、布地に柄がプリントされるとき、輪郭と色彩は意図せずブレが生じます。これを面白いと思ったデュフィは、それを絵画に応用し、ここから独特のスタイルを作っていくのです。

Grand orchestre

 

独自のモチーフと独自の画法を手に入れた後の作品を「デュフィ」と呼ぶとしたら、その前の作品群はプロローグ、プレ・デュフィというところでしょう。
何しろ、この前にはたくさんの画家のスタイルを模倣しているので、彼のものと認識できるエッセンスがほとんどない。
マティスやセザンヌは言うに及ばず、シャガールやターナーまでが、彼の作品の中に見える気がするのです。(誰がしのエッセンスが作品に見て取れることは、ファインアートの世界では全く悪いことではありません)

・・・と、資料を見ていたら、やはりこの部分を気にかけた先人がいらっしゃいました。

デュフィは、あらゆる方面と契約を結んで仕事を進めることが多く、どちらかというと計画的な仕事の仕方をしていた画家の一人ですが、きっと素直でなんでも受け入れられる懐の深さが、うまくビジネスを回していたのかもしれません。

デュフィの「見習い期間」を追って見ていくと、その際限ない期間というのもを、“真のデュフィ”を迎える瞬間まで見極めたいという欲求にかられる。この期間とはすなわち、彼自身でなかった時期である。それは様々な流派に対する彼の過度の敬意ゆえか、あらゆる影響に対する彼の従順な性格ゆえか?

(アントワネット・レゼ=ユレ)

Raoul Dufy “Nature morte devant la maison jaune” (1928) /所蔵不明 Written by E.T.

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