Auguste Elysée Chabaud (1882-1955)(以下、シャボー)という画家がいる。フランスの画家である。Henri Matisse (1869-1954) や André Derain (1880-1954) らと親交がありフォーヴィスム(野獣派)に大きく括られるが、キュビスムの影響も色濃く受ける。
フランスでは一定の評価を確立しており、地元には彼の作品を蒐集した美術館も設立されているほどの画家ではあるが、日本国内での認知は殆どと言っていいほど低い。それもそのはず、国内の美術館でシャボーの作品を常設しているという話はまず聞かないし、ましてや個展が開かれたという話も私の知る限りにおいては聞いたことがない。
唯一、私が知っている彼との接点も、数年前に東京都美術館で開催されていた「ポンピドゥー・センター傑作展 ―ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで―」の一作品として出展されていたからであり、かつ “The Moulin de la Galette (1908-1909)” といういかにも私が好きそうなモティーフであったがために、たまたま目に付いた偶然に他ならない。大胆な筆致の作風は、Pierre-Auguste Renoir (1841-1919) や Henri de Toulouse-Lautrec (1864-1901) が好んで描いてきたこれまでの同モティーフ(正確には Moulin-Rouge も含まれるが)の印象とは大きく異なり「動」と言うよりも「静」と言う感じで、闇空の中に光るネオンとキャバレーから溢れ出る眩いほどのエネルギーが、その「静」をより強く際立たせていた。

シャボーは南仏ニームの生まれ。ニームは Vincent van Gogh (1853-1890) が愛した街アルルの北西部に位置する中核都市である。シャボーは15歳の時にアヴィニョンの美術学校に通う傍ら、父親が祖父母から遺産として受け継いだグラヴェソンのブドウ畑によく休暇に訪れていた。1899年、17歳を過ぎた頃、シャボーは芸術をより深く学ぶためにパリを訪れたが、程なくして家業のワイン事業が大きく傾き(恐らく害虫や病害による影響だろう)、家族を養う為に帰省を余儀なくされた。
再びシャボーがパリを訪れたのは1907年以降。パリは第一次世界大戦が勃発されるまでの1914年までの間、活況を呈した “Belle Époque” の真っ只中にあり、他のボヘミアン達のご多分にもれず、シャボーもモンマルトルにアトリエを借りた。前述した “Moulin de la Galette (1908-1909)” もまさにこの頃に描かれたものである。
第一次世界大戦中の兵役を終えた1919年に、シャボーは故郷グラヴェソンに戻った。戦争という残虐を目の当たりにして、きっと心が平穏を欲しがったのだろう。それ以降、1955年の人生の幕を閉じるまで、シャボーはグラヴェソンに永住し続けた。人々は彼を「グラヴェソンの隠者」として崇めたという。

さて本作、1925年、即ちシャボーがグラヴェソンに移住してから描かれた作品である。しかも “Tailleurs de vignes / ブドウの冬剪定” という題名。シャボーの父親がワイナリーを営んでいたという話は先ほど述べたばかりだが、もしかするとこのブドウ畑も彼の親族の所有なのかもしれない。
“taille / タイユ” は北半球では1〜3月頃に行われる休眠期の剪定の意味であるが、6月頃に行われる “rognage / ロニャージュ” という「夏剪定」と比較する意味で「冬剪定」と呼ばれたりする。
後編ではグラヴェソンで育てられたブドウの秘密について迫る。
《後編に続く》
Auguste Elysée Chabaud “Tailleurs de vignes” (1925) シャボー美術館所蔵
Written by Fumi “Frank” Kimura
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