J.M.W. Turner/ワイン樽のある洞窟内(前編)× Saumur mousseux

Cave Interior with Wine Barrels, near Saumur c.1826-8 by Joseph Mallord William Turner 1775-1851

 

2019年も、あっという間に最後の月となりました。
今月はちょうど1日の日曜日。

2年目に入った今年も色々な画家とワインを取り上げてきましたが、ごく個人的に最重要で、かつまだ手をつけていない画家が残っていました。
今回取り上げる、ロマン派の J.M.W. ターナー(Joseph Mallord William Turner/1775- 1851)です。

本題に入る前に、少し私的な経験から、おつきあいいただければと思います。

作品のホームとアウェイ

東京には毎シーズン様々な企画展が催され、世界から名画がやってきます。
こちらから作品の所蔵先へ出向くことなくアプローチできることは素晴らしい機会ですし、それが都市の恩恵の一つでしょう。

しかし私が「鑑賞する」ということに関して特別な体感を得たのは、イギリス・ロンドンでのことでした。

なぜかロンドンのミュージアムで美術作品を見た感覚は、東京で展示を見るそれとまったく違ったのです。
「それ」がなんなのかしばらくわからなかったのですが、後から気づいたことがあります。

ある作品をその「ホーム」で観ることと、「客人」としてやってきたものを見ることの違いなのではないかということ。
コレクションが豊富な欧米の美術館では、作品はまさにその館を家として、居心地よさそうに収まっています。

作品を、その所蔵先、すなわち「ホーム」にある状態で観ると、一点一点がのびのびとしていて、さらに企画展で見るほど混んでいないこともあって、全身で「素の」彼らと対峙することができます。

それを最もはっきりと感じたのが、TATE Britainにある「ターナー・ルーム」だったのでした。

Tate Britainのターナールーム。 手前には使っていた筆やスケッチブックも。

イギリス美術史の至宝

さて、長らく美術後進国だったイギリスにとってターナーは、最重要、というかヨーロッパに誇る唯一と言っても過言ではない自国の巨匠です。
N.Y.でいえばMOMA、パリでいえばルーブル(収蔵品的に見るとオルセーだけれども)、と並ぶ世界屈指の美術館であるTATEに、「ターナー・ルーム」は設けられています。それは企画室の一室というような規模のものではなく、小さな美術館が丸ごとひとりの画家に使われているようなもの。
それが独立した美術館ではなくTATEの一部としてあるのですから別格の扱いです。

生前、作品がバラバラになっていくことを嫌がったターナーとしては、これほどの好待遇もないでしょう。

こんな風にイギリスから特別扱いを受けている画家なので詳細な研究も進んでおり、現代美術アワードの「ターナー賞」にも名を残しています。

有名どころでは過去にデミアン・ハーストも受賞する、大きな賞です。

https://www.tate.org.uk/art/turner-prize

 

始まり

18世紀イギリスに話を戻します。

ターナーは、裕福というのではないにしろ比較的恵まれた少年時代を過ごし、若くしてロイヤルアカデミーの会員となり、画家としては順風満帆なスタートを切る珍しい画家です。
ターナーの父親は、ロンドンはコヴェント・ガーデンに理髪店を構えていたため、10歳頃まではこの辺りで過ごすことが多かったようです。

先ほど述べたように、この画家についてはそれはそれは細かい考察が何度もされてきており資料も膨大なので、今回は旅する画家ターナーと、旅先としてフランスとの関係に絞って、ご紹介していきます。

 

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18世紀のコヴェント・ガーデン
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現在のコヴェント・ガーデン

旅する画家、ターナーとヨーロッパ

ターナーはその生涯で、イタリアはローマ、ヴェネチア、ナポリ、ほか各地、イギリスはスコットランド、ウェールズ、ほか各地、スイス、デンマーク、オーストリア、ドイツ、フランスと、18世紀にしてはかなり多くの場所を熱心に旅をした画家です。

彼の制作に大きなインスピレーションを与えたのは何よりヴェネチアで、この街の持つ繊細な光と水は、彼の作品群を見ればどれだけ大きく影響を与えてきたかがよくわかります。

(ちなみに、憧れが大きかったこともあり、その前にターナーはローマに失望している。)

では、なぜフランスなのかといえば、この地はこの地で、彼にとって大きな存在なのです。

ヴェネチアは彼に、ドラマティックな衝撃、土地としてのインスピレーションを与えました。
それが視覚的に見て取れるものだとすれば、フランスのそれは持続的でもっと落ち着いた「精神性」だったといえるかもしれません。
フランスの地そのものではなく、パリにおける文化や、そこで見ることができた世界の美術。
つまりフランスの文化的な力が、彼に何度も足を運ばせたのです。

ターナーとフランス

ターナーが1803年にロイヤルアカデミーに出展した、(当ブログとしては喜ばしいタイトルの)「マコンのぶどう収穫祭」をはじめ、「カレーの桟橋」や「サン・ドニ」など、フランスの地名を残す作品は多くあります。

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The Festival of the Opening of the Vintage, Macon/1803

その中でも、2つの大きな仕事は、版画集「セーヌ川散策」「ロワール川散策」でした。

Wanderings by the Seine/Loireと題されたこの本は、似たような本がすでに出ていたこともあってフランス国内ではそこまで成功した本とはいえなかったようですが、ゆっくりと版は重ねられ、今ではなんとkindle版も刊行しています!

Wanderings by the Loire/1833

ターナーと印象派

先に述べたのは、当然ながら画家が意図あって残した仕事ですが、もう一つ、今の美術史にとって、そして当ブログにとって、とても大きな一石となっていることがあります。それが、印象派との関係性です。

ターナーが生きた時代は、印象派が台頭してくる2,30年前に終わっています。
しかし、彼がいなかったら、印象派の方向性がどうなっていたのかも、実はわからないのです。

モネの代表作のひとつをご覧ください。

600px-Monet_-_Impression,_Sunrise
Impression, Sunrise/1872

 

そう、「印象派」の名前の由来となった重要な作品です。
モネは、フランスの情勢の問題で一時期ロンドンに渡っていますが、その時に数々のターナーの作品を見ました。

ターナーの影響は明らかながら、モネはそれを認めていない、というのは有名な話です。

この作品から始まったとも言える「印象派」に多く描かれる「生活の中でのワインの姿」は、こうしたブログが立ち上がる土壌を作ったといえます。

このブログの一番最初に取り上げたのは、クールベ。それは、彼もまた、印象派が生まれるきっかけとなった重要な画家だったから。

そしてターナーも確実に、そのような画家の一人なのです。

 

後半は、そんな彼の出版した旅行記への取り組みから、ワインへ迫ってみようと思います。

 

Cave Interior with Wine Barrels, near Saumur (1826-8) テート美術館所蔵
Written by E.T.

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